国道464号 船橋市〜成田市
ホーム昔日の国道風景
◆概要
国道昇格を4日後に控えた千葉県道66号成田印西線
[1993/03/28撮影] (写真拡大
 
  

 
国道464号は千葉県松戸市と成田市を結ぶ国道である。国道464号を含む国道450号〜507号は、1992年(平成4年)4月3日公布の「一般国道の路線を指定する政令」で追加指定されたグループで、翌1993年(平成5年)4月1日の政令施行に伴い正式に国道となった。当時、この追加指定の話を知ったのは、国道昇格の僅か1ヵ月前の1993年3月初めのことで、さらに具体的な昇格ルートが記載された道路地図を入手できたのは3月中旬になってからであった。そこで、国道昇格を迎えるに当たっては、当時地元であった国道464号の船橋市(国道16号交点)〜成田市(国道51号交点)間に着目し、昇格直前の3月28日と昇格当日の4月1日に走り比べてみることにした。ここではそのときの記録を紹介する。
 

◆走行記


1993年3月28日、10:10、昇格を目前に控えた国道464号のルートをたどるため、国道16号経由で船橋市小室にやってきた。国道464号のルートはここで国道16号と交差しており、今日はここから成田市方面に向かう。

国道16号交点からは、まず北総開発鉄道を挟んだ上下別線(片側2車線)区間でスタートする。掘割構造の鉄道と、鉄道に沿って直線的に延びる道路が織り成す景観は、いかにも大規模ニュータウンに通じる主要交通路という感じである。しかし、上下別線区間は長くは続かず、千葉ニュータウン中央駅手前で鉄道の南側だけの2車線対面通行となった(写真1)。また、鉄道も千葉ニュータウン中央駅で終点となり、それまでの主要交通路が一気に先細りしたという感じである。

千葉ニュータウン中央駅から先も掘割構造とその南側の2車線道路はそのまま続いており、掘割の中では鉄道の延伸工事が進んでいた。しかし、走るにつれて周囲の風景は田舎になる一方である。果たしてここにも将来ニュータウンと呼ばれる日が来るのであろうか。

さて、今走っているルートは、4日後には国道に昇格するはずである。しかし、国道標識や案内標識の記述など、国道464号昇格を匂わせるものは国道16号交点から何1つない。このルートが本当に国道に昇格するのか次第に疑問に思えてきた。
 

1 2車線対面通行となる交差点手前の案内標識
  [1993/03/28撮影] (写真拡大
 
2 千葉県道65号交点に出現した464号の国道標識
  
[1993/03/28撮影] (写真拡大) 


そんな中、印旛村鎌苅で国道16号交点以来続いてきた都市計画的なルートが途切れ、千葉県道65号佐倉印西線に突き当たった。新しい道路地図によると、国道464号ルートはここで右折である。道路地図通り右折すると・・・やっとありました国道464号の国道標識(写真2)。464号昇格を示す初めての物証である。まだ真新しい国道標識には、昇格前のため青色のビニールがかぶせてある。このビニールを4月1日の昇格当日にはずす段取りなのであろう。

ようやく国道464号の物証が出現したのはいいのだが、県道65号を少し走った印旛村瀬戸付近では、464号ルート左折のところを、そのまま直進してしまいミスコース。まだ昇格前だから致し方ないとはいえ、このままでは4月1日の昇格後もミスコースポイントとして存続してしまうのではないだろうか。左折した直後には2本目の464号国道標識が立っていたが、どうせなら左折直前に矢印付きでほしいところ。なお、2本目も先ほどの1本目と同様、青色のビニール装着であった。

続く印旛村吉高付近の464号ルート右折ポイントは何とかクリアーしたが、ここも右折直後に国道標識(写真3)。相変わらず国道トレースには余り役立っていない。
 

3 印旛村吉高付近の464号国道標識
  [1993/03/28撮影] (写真拡大
4 成田市台方付近の県道標識
  [1993/03/28撮影] (写真拡大


さらに進むと、印旛沼にかかる甚兵衛大橋を越えた直後に、何と千葉県道66号成田印西線の県道標識が立っていた(概要欄写真)。確かにまだ県道には違いないのだが、4日後に迫った国道昇格までに国道標識への取り替えが間に合うのであろうか。思わず余計な心配をしてしまう。

その後、成田市台方付近にもまだ県道標識が立っていたが(写真4)、県道標識が残っていたのは、甚兵衛大橋直後とここの2箇所だけであった。と同時に、464号国道標識も印旛村吉高付近のものを最後にぷっつり途絶え、宗吾霊堂付近の交差点では、さらにミスコースを重ねてしまったのであった。

成田市飯田付近の右折ポイントは無事にクリアーし、12:20に国道51号交点へ。464号昇格直前のドライブはここで終了となった。

今日走った区間について言えば、準備済みの国道標識は3本のみ(松戸方面向きを除く)で、案内標識に至っては464号の記述が準備されている形跡は全くなかった。記念すべき国道昇格を迎えるにしては対応がお粗末であるという印象はぬぐえず、4月1日までに残された僅かな時間に整備されることを期待するしかない。
 



1993年4月1日、朝6:00に起床。今日は遂にやってきた国道昇格の日である。4日前の3月28日と同様、今日も天気は芳しくなく、朝から細かい雨が降っている。

今日は平日で会社があるため、出勤前に国道464号の国道16号交点〜国道51号交点間を走ってしまうつもりである。また、夕方には会社から直接スキー場に向かうため、車にスキー板を積んでからの出発となった。

6:45、いよいよ国道16号交点から今日昇格したばかりの国道464号へ。しかし、期待が失望へと変化するのに時間はかからなかった。何と千葉県道65号交点(印旛村鎌刈)までの間に、国道標識や案内標識への464号の記述は全くなかったのである。要するに4日前の3月28日と全く同じ状態ということである。

極めつけは、県道65号交点の右折直後の国道標識。4日前と同様、まだ青色のビニールがかぶせられたままだった・・・。確かに今日ビニールをはずすにしても、職員の勤務時間にはまだ早いので仕方がない面はあるが、早起きしてわざわざ走ってきた者にとっては、余りにも辛い事実であった。

その後、印旛村瀬戸付近の2本目の国道標識はビニールが取られていたが、舟戸付近の3本目はまだビニール装着状態であった(写真5)。2本目の国道標識にしても、いたずらで取られた可能性が高いのではないだろうか。

唯一の救いは、甚兵衛大橋直後と成田市台方付近の県道標識が取り外されていたことであった(写真6)。予想通り、国道標識への付け替えは間に合わず、ポールだけが残っている状態だったが・・・。
 

5 ビニール装着のまま立つ国道標識
  [1993/04/01撮影] (写真拡大
6 県道標識が取り外されたポール
  (成田市台方付近、写真4と同じ場所)
  [1993/04/01撮影] (写真拡大

7:30に国道51号交点に到着し、昇格当日の国道464号走行は終了。結局、国道16号交点〜国道51号交点間においては、4日前と比較して新たな国道標識の整備や案内標識への464号の記述は全くなく、僅かに県道標識が撤去されているにすぎなかった。
 
◆付記
 
2010年2月28日に国道464号を再訪し、ここに掲載している写真の一部について定点撮影を行いました。その写真を「国道定点撮影」の国道464号にまとめましたので、どうぞご覧下さい。
 

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