国道357号
ホーム国道定点撮影
◆概要
●国道357号 起点:千葉県千葉市 終点:神奈川県横須賀市
●定点撮影ポイント:東京都江戸川区臨海町
●撮影日:1993年3月14日、2004年4月17日
◆写真紹介
[1] 江戸川区臨海町付近
[1993/03/14撮影] (写真拡大 [2004/04/17撮影] (写真拡大
環七通りで国道357号交点直前の案内標識を撮影したもの。左折方向が国道357号千葉方面、直進方向が葛西臨海公園というのは左右の写真とも変わらない。違うのは右折方向である。現在は右の写真のように「国道357号青海、辰巳」となっているが、左の写真を撮影した1993年当時は、この先にある荒川河口にまだ国道357号の橋が架かっておらず、右折方向の行先は「船堀」となっていた。「船堀」は荒川の手前を川沿いに4km程度も北上したところにある地名だが、その荒川沿いの道路(現・東京都道308号)に「船堀街道」という愛称が付いていることもあり、このような表記になったのであろう。
なお、1993年当時、ここから辰巳方面へは首都高速湾岸線を使えば容易に行くことができたが、一般道となると約2km北上し葛西橋(現・東京都道10号)で荒川を越える必要があった。
 
[2] 江戸川区臨海町付近
[1993/03/14撮影] (写真拡大 [2004/04/17撮影] (写真拡大
[1]の交差点を右折し、国道357号に入ってすぐの地点。1993年撮影の左の写真では、案内標識内の直進方向の行先が「船堀街道」となっている。表記としては、先ほどの「船堀」だけよりもこの方が親切と言えよう。右側の一段高いところを走っているのが首都高速湾岸線で、数百m前方に葛西入口がある。
一方、同じアングルで2004年に撮影したものが右の写真であるが、様相が一変している。まず、新たに高架道路が出現しているが、これは首都高速ではなく、実は国道357号の陸橋である。先ほどの環七通りとの交差点をパスするためのもので、現在の国道357号のメインの流れはこの陸橋上ということになる。
さらに、首都高速の入口が手前に移動している。これは恐らく、国道357号の陸橋新設に伴うもので、高速入口と国道陸橋を立体交差させるために移動せざるを得なかったのであろう。
 
[3] 江戸川区臨海町付近
[1993/03/14撮影] (写真拡大 [2004/04/17撮影] (写真拡大
[2]の地点から国道357号をさらに西へ約1km進んだ地点。荒川堤防はもう前方数百mに迫っている。左の写真を撮影した1993年当時、国道357号はこの先の荒川堤防に行く手を阻まれ、そのまま船堀街道に誘導される形となっていた。一方、国道の右側には荒川越えに差し掛かる首都高速があり、正に高速料金を支払った者だけに特権が与えられているという感じだった。2004年撮影の右の写真では、首都高速の手前に、荒川河口橋に繋がる国道357号の高架が立ち上がっている。
 
[4] 江戸川区臨海町付近
[1993/03/14撮影] (写真拡大 [2004/04/17撮影] (写真拡大
左の写真は、1993年に荒川の堤防上から辰巳方面を撮影したもので、左側がJR京葉線の荒川橋梁、右側が首都高速湾岸線の荒川湾岸橋で、その間に立っている真新しい橋脚が建設中の国道357号荒川河口橋(西行き)のものである。その後、1996年に357号の荒川河口橋は開通し、現在の状況は右の写真の通りである。
 
[5] 江戸川区臨海町付近
[1993/03/14撮影] (写真拡大 [2004/04/17撮影] (写真拡大
[4]と同じ地点の少し右寄りからのアングル。1993年撮影の左の写真にはJR京葉線の電車が写っているが、国道357号の開通により、現在は右の写真のように同じアングルでは電車が見えなくなってしまった。
 
[6] 江戸川区臨海町付近
[1993/03/14撮影] (写真拡大 [2004/04/17撮影] (写真拡大
[5]の地点からさらに上流側に移動し、やはり辰巳方面を向いて撮影した写真。1993年撮影の左の写真には、首都高速湾岸線の手前に国道357号荒川河口橋(東行き)の橋脚が写っている。右の写真は、荒川河口橋開通後の2004年現在の様子。荒川対岸には新たに塔らしきものが出現しているが、これは東京都下水道局砂町水再生センターに建設された汚泥処理プラントの煙突である。

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