国道311号
ホーム国道定点撮影
◆概要
●国道311号 起点:三重県尾鷲市 終点:和歌山県上富田町
●定点撮影ポイント:尾鷲市賀田、熊野市須野、尾鷲市梶賀
●撮影日:1994年12月25日、2002年12月30日
◆写真紹介
[1] 尾鷲市賀田付近
[1994/12/25撮影] (写真拡大 [2002/12/30撮影] (写真拡大
国道311号の尾鷲市梶賀〜熊野市須野間は、険しい地形に阻まれて長らく通行が不能であったが、2001年11月に新道が開通し、ようやく1本の国道としてつながった。左の写真は、まだ国道が分断されていた1994年に尾鷲市側で撮影したもので、案内標識の311号方面には、「梶賀(以遠行き止まり)」と表記されている。右の写真は、新道開通後の2002年に撮影したものだが、311号方面の表記は「二木島、梶賀」に改められている。また、案内標識内で国道42号に向かう県道番号に注目すると、左の写真では「県道517号」なのに対し、右の写真では「県道70号」となっており、県道番号が変わったことが分かる。さらに背景に目を移すと、左の写真の中央右寄りに写っている茶色っぽい家が、右の写真では取り壊されていることが分かる。
 
[2] 尾鷲市賀田付近
[1994/12/25撮影] (写真拡大 [2002/12/30撮影] (写真拡大
左の写真は、[1]の撮影地点を左折し、さらに100mほど進んだ地点で、この先国道311号が通行不能であることを知らせる案内板を撮影したもの。右の写真は2002年に撮影したものだが、必要がなくなったはずの案内板は撤去されておらず、何とブルーシートで覆われた状態で残っていた。
 
[3] 熊野市須野付近
[1994/12/25撮影] (写真拡大 [2002/12/30撮影] (写真拡大
1994年当時は、尾鷲市側の国道311号を走行後、通行不能区間を県道517号、国道42号で迂回し、熊野市側から再び通行不能区間へと向かった。左の写真はその途上で貧弱な1車線道に立つ国道標識を撮影したものである。2002年撮影の右の写真では、路肩線が引かれた分少し見栄えが良くなったが、道幅自体は僅かに広がったか、という程度である。なお、右の写真では国道標識がなくなっているが、実は撮影地点の10mくらい手前に国道標識が立っており、どうやら道路改良工事の際に移設されたようだ。
 
[4] 熊野市須野付近
[1994/12/25撮影] (写真拡大 [2002/12/30撮影] (写真拡大
尾鷲、熊野市境に位置する須野トンネルの熊野市側入口で撮影した写真。左の写真を撮影した1994年当時は、トンネル入口で通行止となっており、簡単なバリケードが設置されていた。もちろんトンネルの中は照明がなく真っ暗である。ちなみに須野トンネルの銘板には1981年9月完成とあり、通行不能区間の新道建設はかなり以前から始まっていたようである。
 
[5] 尾鷲市梶賀付近
[1994/12/25撮影] (写真拡大 [2002/12/30撮影] (写真拡大
須野トンネルの尾鷲市側で撮影した写真。1994年当時は、トンネルを出たところに通行を制止するポールが立っており、その先(尾鷲市街方向)はダートとなっていた。
 
[6] 尾鷲市梶賀付近
[1994/12/25撮影] (写真拡大 [2002/12/30撮影] (写真拡大
[5]の地点からさらに尾鷲市街方向へ約200m進んだ地点で、熊野市方向を振り返って撮影した写真。左の写真は1994年撮影のものだが、新道建設工事が長期間ストップしていたのであろうか、2車線幅の道路の両側が雑草に覆われ、実質1車線のダートになっている。なお、ここから少し尾鷲市街寄りに進むと、道は行き止まりであった。2002年撮影の右の写真では、道路はすっかり整備され、新たに国道標識も立てられている。
2枚の写真をよく見比べてみると、左の写真のガードレールが一様な曲線を描きながら画面手前で切れているのに対し、右の写真の道路はその曲線と一致していないことが分かる。実は右の写真のすぐ手前(尾鷲市街方向)には新たに開通した梶賀トンネルが口を開けているのだが、このことから最初にこの部分の道路を建設した時点での新道計画ルートは、現在の梶賀トンネルルートとは異なっていたことが伺える。

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