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◆概要 |
●路線名:五幡新保停車場線 | |
●所在地:福井県敦賀市 | |
●旧鉄道路線名・旧駅名:国鉄北陸本線 新保駅 | |
●鉄道廃止日:1962年6月10日 | |
●撮影日:2003年10月25日 |
◆写真紹介 |
[1] 敦賀市中心部から国道8号を10km弱北上したところにある五幡交差点。道路地図によると、県道209号はこの交差点から分岐している。 (写真拡大) |
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[2] しかし、分岐している道路はと見ればこの路地のみ。しかも、念のため前後の区間数百mほど国道8号を走って調べてみたが、他に県道209号らしき道路は全く見当たらないのである。どうやらこの路地を県道209号と信じて入るしかないのだが、さすがに車で進入する勇気はなく、まずは歩いて様子をうかがうことにする。 (写真拡大) |
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[3] 国道8号から入ってすぐのところ。何十年も時間が止まったような懐かしい路地の風景に思わず足を止める。国道8号は目と鼻の先なのに、まるで別世界に迷い込んだようである。 (写真拡大) |
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[4] さらに数十mほど集落内の路地を進む。正面に見えるのは西勝寺。道幅は普通車がぎりぎり通れるかという程度である。 |
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[5] 路地は西勝寺の手前を左に折れ、この写真の突き当たりで再び右に曲がっている。 |
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[6] [5]の突き当たりを右に曲がったところ。幅員は相変わらず完全1車線だが、これまでの路地を見てくると、これでも幾分県道らしくなってきたと思うから怖い。 |
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[7] さらに2〜300m歩くと、道は集落を抜けて田園地帯へと入って行く。 |
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[8] そこで登場したのがこの電気柵。野生動物から農作物を守るための設備である。一応、道路右端の部分で着脱は可能になっているが、県道にこのようなものが存在していいのだろうか。 (写真拡大) |
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[9] 電気柵から少し進むと、遂に舗装が途切れ、雑草に覆われたダートが出現した。路地から一旦県道らしくなったと思ったのも束の間、今度は荒れた農道状態である。こうなると車で進入する気はもはやなくなり、あとは自分の足で進むしかない。 |
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[10] ダートになったときはそのまま消え入りそうだった道も途切れることはなく、次第に山間へと入って行く。 |
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[11] 杉林の中に細々と続く道筋。この辺りは轍部分でも路面が荒れており、歩きでも多少気を使わねばならない。 |
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[12] そして出発から約20分後、遂に県道を匂わせるものが出現した。「敦賀土木事務所」と書かれた安全柵である。今までは半信半疑で歩いてきたが、これでさらに先へ進もうという気になった。 (写真拡大) |
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[13] [12]の地点を境に砂利が撒かれた道となり、明らかに路面状態が良くなった。とは言え、幅員は完全1車線のままであり、まだまだ県道と呼ぶには程遠いレベルであることに変わりはない。 |
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[14] さらに砂利道の登りが続く。標高を上げてきたが、展望は開けない。 |
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[15] そして、国道8号から歩くこと約40分で遂にダートが終わり舗装路へ。と同時に道は下りに転じており、ここが峠のようである。 |
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[16] 舗装路を少し歩くと、車の姿も見えた。ちょっと様子をうかがうつもりで歩き出し、なんだかんだで峠まで来てしまったが、徒歩による踏破もここまでである。 |
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[17] [16]の地点で振り返って撮影した写真。「通行止」の立看とともに、やはり敦賀土木事務所の安全柵があった。今たどってきた道は県道209号と考えて間違いなさそうである。ちなみに、国道8号側には「通行止」の案内はなかったが、あの道路状況を考えると、わざわざ入ってくる車があるとも思えず、問題ないのだろう。 (写真拡大) |
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[18] [16]の地点からさらに数十m進んだところにも、新保駅跡方を向いて「注意 この先通行止により通り抜けられません」と書かれた立看があった。 |
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[19] 峠からは一旦歩いて五幡交差点まで戻り、車で国道8号、国道476号と迂回し、新保駅跡方から再び峠に戻ってきた。峠から先はしっかりした舗装路である。 |
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[20] 峠から下りて最初の集落となる田尻。集落から先は2車線となる。 |
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[21] 田尻の集落から約1km走ると、前方に国道476号が見えてくる。 |
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[22] [21]の地点で五幡方を振り返ると、209号唯一の県道標識とともに、峠と同様「注意 この先五幡には通り抜けられません」と書かれた看板が立っている。 (写真拡大) |
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[23] そして、国道476号に入って敦賀市街方に約1km走ると、目的地の新保駅跡に到着。新保駅は、北陸トンネル開通前の旧線にあった駅で、1962年6月10日、トンネル開通と同時に廃止となった。新保駅が現役だった時代は五幡集落からすると最寄駅であり、この県道の存在意義はあったと思われるが、駅の廃止とともにその存在意義が薄れ、現在のような姿に落ち着いたのだろう。 |
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[24] 駅跡には記念碑が立っており、碑には昔の新保駅構内の配線図も記されているが、碑の後方に見える北陸自動車道の建設によって土地が大きく改変されたためか、周囲に駅の痕跡のようなものは全く見られなかった。 (写真拡大) |
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