国道352号 枝折峠
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◆概要
国道352号 枝折峠付近 [1992/10/18撮影]
  

 
国道352号は、新潟県柏崎市と栃木県上三川町を結ぶ国道であるが、そのうち、新潟県魚沼市から福島県檜枝岐村にかけての区間は山深い奥只見地方をたどるルートで、典型的な山岳国道の様相を呈している。1985年頃の道路地図によればこの区間の大部分はダートとの記載があるが、現在は、幅員がほとんど1〜1.5車線のままながら舗装化は完了している。

ここでは、1989年10月に福島県側から新潟県側へ抜けたときの走行記を紹介する。
 

 

◆走行記


1989年10月19日、所用で仙台から長野県に向かう途中、かねてから走りたかった奥只見地方の国道352号を回ることにした。しかし、天候はあいにくの雨で、また、檜枝岐村の中心部に到着したときには既に14:00を過ぎていた。

檜枝岐村で腹ごしらえをして、14:35、いよいよ奥只見方面に向けて出発。標高が上がるにつれて紅葉が見頃となるが、同時に雨も激しさを増してきて写真撮影もままならない。

尾瀬への入口である御池を過ぎると、天候の悪さもあってか対向車もめっきり少なくなった。御池からは下り坂となり、只見川を渡ったところで新潟県湯之谷村へ。新潟県に入ったとはいえ、まだまだ先は長い。

15:40頃、雨に煙る奥只見湖の湖面が姿を現す。奥只見湖は奥只見ダムによってできたダム湖で、付近の急峻な山岳地形を物語るかのように、いくつもの谷に湖水が入り込み、非常に複雑な形をしている。ここからの国道352号は、湖沿いの山ひだを忠実にたどるルートとなる。

湖沿いのルートには、路面を少し窪ませて沢の水を流している箇所が多いのだが、この大雨でかなり水量が豊かになっていて、渡るときに勇気のいる箇所も。ちなみに、各流れの手前には、「降雨時通行止」の標識が立っている。

時折現れる対向車のヘッドライトが心強いが、湖水の入り込んだ谷を大きく迂回する箇所では、最初にヘッドライトが見えてから実際にすれ違うまで、10分くらいかかることもある。

そして、ダム湖沿いを30分くらい走ったところで、遂にダートが出現。場所は雨池橋の少し手前付近である。しかし、ダート延長はわずか400mしかなかった。こと、奥只見湖沿いの区間に関しては、全面舗装化も間近に迫ったようである。

16:40、ようやく長かった奥只見湖沿いの区間が終わり、銀山平に到着した。ここでは、一旦国道を離脱して、奥只見シルバーライン経由で奥只見ダムまで往復。奥只見シルバーラインは長大トンネルが連続するさまが圧巻であった。

再び銀山平に戻ってきたのは、辺りがすっかり暗くなった17:10。この先、国道352号には最後の難所、枝折峠が控えている。実は、この枝折峠に平行して、先ほどのトンネルばかりの奥只見シルバーラインが湯之谷村の中心部に抜けており、無理に峠を越える必要は全くない。しかしながら、「国道352号枝折峠、砂利道・・・」という国道案内板を見てしまったからには、もう後へは引けない。大雨の夜という悪条件にもかかわらず、峠を攻めようと決心したのだった。

銀山平から2車線舗装路を少し走ると、案内板のとおりダートが現れた。ダート入口には、「この先転落事故多し」、「初心者はシルバーラインへ」、「わき見をするな命はないぞ」など、物騒な看板がずらり。しかし、気にせず突入する。

どこが峠かも分からないような状況の中をしばらく走り、下り坂になったかと思った頃、運の悪いことに霧まで濃くなってきて、視界がほとんどきかなくなってしまった。運転免許を取って2年、今まで経験したことのない最悪のコンディションである。

それに追い討ちをかけるように、「転落!死亡事故現場」、「下は地獄」、「転落事故多し、連絡方法なし」などという看板が次々と暗闇の中に実に不気味に浮かび上がり、もはや生きた心地がしない。対向車があるはずもなく、1人で夜の峠道に足を踏み入れたことを後悔したが、時すでに遅しであった。

とにかく、谷へ転落だけはしまいと最徐行で峠道を下り、銀山平から約1時間走ったところでようやくダートが終了。ほどなく、大湯温泉の明かりも見え、極度の緊張感からやっと開放されたのだった。

なお、枝折峠区間のダート総延長は12.4kmであった。
 

◆付記
国道352号 ダート区間の銀山平側入口
[1992/10/18撮影]
  

 
恐怖の枝折峠越えから約3年後の1992年10月、再び国道352号奥只見を訪れた。このときは幸い晴天に恵まれ、紅葉を楽しむこともできた。

件の枝折峠は、3年の間に舗装化が進んでおり、大湯温泉〜枝折峠間は全面舗装され、ダートは枝折峠〜銀山平間4.4kmが残るのみとなっていた。また、大湯温泉〜枝折峠間ではガードレールも新たに整備され、3年前に散々苦しめられた例の物騒な看板はすべて撤去されていた。唯一、ダート区間の銀山平側入口に残っていた「転落事故多し」などの看板に1989年当時の面影をとどめているに過ぎなかった。
 


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