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◆概要 |
ここでは、1989年10月に福島県側から新潟県側へ抜けたときの走行記を紹介する。
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◆走行記 |
檜枝岐村で腹ごしらえをして、14:35、いよいよ奥只見方面に向けて出発。標高が上がるにつれて紅葉が見頃となるが、同時に雨も激しさを増してきて写真撮影もままならない。 尾瀬への入口である御池を過ぎると、天候の悪さもあってか対向車もめっきり少なくなった。御池からは下り坂となり、只見川を渡ったところで新潟県湯之谷村へ。新潟県に入ったとはいえ、まだまだ先は長い。 15:40頃、雨に煙る奥只見湖の湖面が姿を現す。奥只見湖は奥只見ダムによってできたダム湖で、付近の急峻な山岳地形を物語るかのように、いくつもの谷に湖水が入り込み、非常に複雑な形をしている。ここからの国道352号は、湖沿いの山ひだを忠実にたどるルートとなる。 湖沿いのルートには、路面を少し窪ませて沢の水を流している箇所が多いのだが、この大雨でかなり水量が豊かになっていて、渡るときに勇気のいる箇所も。ちなみに、各流れの手前には、「降雨時通行止」の標識が立っている。 時折現れる対向車のヘッドライトが心強いが、湖水の入り込んだ谷を大きく迂回する箇所では、最初にヘッドライトが見えてから実際にすれ違うまで、10分くらいかかることもある。 そして、ダム湖沿いを30分くらい走ったところで、遂にダートが出現。場所は雨池橋の少し手前付近である。しかし、ダート延長はわずか400mしかなかった。こと、奥只見湖沿いの区間に関しては、全面舗装化も間近に迫ったようである。 16:40、ようやく長かった奥只見湖沿いの区間が終わり、銀山平に到着した。ここでは、一旦国道を離脱して、奥只見シルバーライン経由で奥只見ダムまで往復。奥只見シルバーラインは長大トンネルが連続するさまが圧巻であった。 再び銀山平に戻ってきたのは、辺りがすっかり暗くなった17:10。この先、国道352号には最後の難所、枝折峠が控えている。実は、この枝折峠に平行して、先ほどのトンネルばかりの奥只見シルバーラインが湯之谷村の中心部に抜けており、無理に峠を越える必要は全くない。しかしながら、「国道352号枝折峠、砂利道・・・」という国道案内板を見てしまったからには、もう後へは引けない。大雨の夜という悪条件にもかかわらず、峠を攻めようと決心したのだった。 銀山平から2車線舗装路を少し走ると、案内板のとおりダートが現れた。ダート入口には、「この先転落事故多し」、「初心者はシルバーラインへ」、「わき見をするな命はないぞ」など、物騒な看板がずらり。しかし、気にせず突入する。 どこが峠かも分からないような状況の中をしばらく走り、下り坂になったかと思った頃、運の悪いことに霧まで濃くなってきて、視界がほとんどきかなくなってしまった。運転免許を取って2年、今まで経験したことのない最悪のコンディションである。 それに追い討ちをかけるように、「転落!死亡事故現場」、「下は地獄」、「転落事故多し、連絡方法なし」などという看板が次々と暗闇の中に実に不気味に浮かび上がり、もはや生きた心地がしない。対向車があるはずもなく、1人で夜の峠道に足を踏み入れたことを後悔したが、時すでに遅しであった。 とにかく、谷へ転落だけはしまいと最徐行で峠道を下り、銀山平から約1時間走ったところでようやくダートが終了。ほどなく、大湯温泉の明かりも見え、極度の緊張感からやっと開放されたのだった。 なお、枝折峠区間のダート総延長は12.4kmであった。 |
◆付記 |
件の枝折峠は、3年の間に舗装化が進んでおり、大湯温泉〜枝折峠間は全面舗装され、ダートは枝折峠〜銀山平間4.4kmが残るのみとなっていた。また、大湯温泉〜枝折峠間ではガードレールも新たに整備され、3年前に散々苦しめられた例の物騒な看板はすべて撤去されていた。唯一、ダート区間の銀山平側入口に残っていた「転落事故多し」などの看板に1989年当時の面影をとどめているに過ぎなかった。 |
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