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◆概要 |
ここで紹介するのは、1993年5月に国道に昇格して僅か1ヵ月後の高尾山越を走ったときの記録である。道路地図を見てダートがあるかも知れないということで現地行きを決行したのだが、結果は予想通りであった。 |
◆走行記 |
西仙北SAであらかじめ買っておいたコンビニ弁当を食べた後、13:40、協和ICで秋田道を下車。今日の主目的である国道341号に入る。 本荘市に向かう国道341号は、まずは2車線。しかし、路面はあまり良くなく、協和町と雄和町の境界付近では直角カーブも現れる。そして雄和町新波のT字路では、「左折・本荘」という手前の案内標識につられて左折したが、すぐに入った道が県道であることに気付いた。341号は右折だったのである。実はここから本荘に向かう最短ルートは県道+国道105号であって、341号はわざわざ遠回りの峠越えルートを選んでいるのである。せめて案内標識内に341号の表記があれば間違えることはなかったのだが。 雄和町新波からの341号は1.5〜2車線とまずまずの道。しかし、石川付近の341号左折ポイントは予想通り見事に通り過ぎてしまった。すぐに気付いて引き返してみたところ、341号左折を示す標識どころか案内標識自体がなく、唯一「高尾山入口」を示す看板が立っているのみだった。この先、341号にはどのような道が待ち受けているのか、期待と不安が入り混じった複雑な心境である。 左折ポイントからは1〜1.5車線の山道となったが、約10分ですんなりと高尾山へ。道路は標高380mの山頂のすぐ近くまで到達しており、なかなか眺めが良い。付近にはキャンプ場もあり、ここまでは車も結構入ってくるようだ。 しばしの休憩の後、高尾山を後にする。少し走ると、擁壁の工事現場に出くわし制止させられた。特に通行時間規制をしている訳ではなく、車が来れば道を空けて通行させるというスタンスのようで、5分程度待って通行することができたが、車両通行がほとんどないことを前提とした手法と考えられなくもない。 そして工事現場からさらに進み、下り坂になったところで、遂にダートが出現(写真1)。道幅は1車線となり、車同士のすれ違いもままならない。それでも最初は路面が安定していてまだ良かった。それが急坂路に差し掛かると、路面に溝が刻まれたかなりの悪路へと変貌したのである(写真2)。恐らく傾斜が急なため、雨水による路面の浸食が激しいのであろう。昇格後間もない国道とはいえ、まさか車の底をすらないよう進路取りに神経を使う羽目になるとは・・・。 |
1 ダートとなった国道341号 道路脇には「25km」のキロポストが立つ。 (写真拡大) |
2 溝が刻まれた路面 (写真拡大) |
さらに峠道を下ると、左手に沼が現れた。恐らく道路地図に載っている鷺沼であろう。この辺りで峠道もほぼ一段落し、普通ならこのまま順調に舗装路が続きそうである。ところが、期待を裏切らないというべきか、何と再びダートが現れた(写真3)。 今度のダートは、田園風景が広がってきたせいもあり、どちらかというと農道風である。平坦路なので先ほどのように溝が刻まれているということはないが、逆に水たまりが多く、やはり路面がいいとは言い難い。 岩城町滝ノ俣の集落が近づいてきたところでダートは終了し、2車線舗装路へ(写真4)。ダート総延長は2.7kmとなった。そして、高尾山からここまで、結局、対向車とは1台もすれ違うことはなかった。 |
3 農道風のダート区間 (写真拡大) | 4 岩城町滝ノ俣のダート終了地点 (写真拡大) |
◆付記 |
1997年8月に再びこの区間を走ったが、4年間のうちにダートは全て舗装化されていた。1993年4月の国道昇格とともに誕生したダート国道であったが、短命に終わったことになる。 |
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