国道336号 旅来渡船
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◆概要
国道336号 旅来渡船場入口(豊頃町側) (写真拡大
  

 
国道336号は、北海道浦河町から太平洋岸に沿って広尾町、浦幌町等を通り釧路市に至る国道である。現在は、豊頃・浦幌町界付近を流れる十勝川を十勝河口橋で渡河しているが、1992年12月に河口橋が開通するまでは国道に橋はなく、十勝川の両岸を渡船が連絡するという「渡船国道」であった。国道が海を渡り、その間をフェリーが連絡しているという例は、国道42号の伊良湖港(愛知県)〜鳥羽港(三重県)間のように現在でも比較的数多く見られるが、川の両岸を渡船が連絡する「渡船国道」は、国道336号を最後に消滅している。

ここで紹介するのは、十勝河口橋が開通する約1年前の1991年8月に、「渡船国道」を訪れたときの記録である。
 

◆走行記


1991年8月5日、原付による北海道ツーリングも3日目である。朝4:15に浦河町を出発し、えりも岬観光を経て、広尾町豊似から浦幌町方面に向かう国道336号に入ったのは13:10頃だった。

広尾町から浦幌町にかけての国道336号は、沿線にあるナウマン象化石発掘の地にちなんで「ナウマン国道」という愛称が付いている。しかし、沿線人口が少ない上に、観光ルートから外れているせいか、交通量は至って少ない。

車ならかなり飛ばしたくなるような快走路であるが、原付だとそうもいかないところが何とも歯がゆい。また、ただでさえ景色の変化に乏しいルートなのに、原付だと余計である。原付ツーリングは速度が遅い分、いろんな発見があって面白いものだが、だだっ広い北海道にはあまり向いていないようである。

広尾町から約1時間走った頃、突然それまでの快走路が途切れ、ダートが出現(写真1)。場所は大樹・豊頃町界付近である。しかし、ダートは2.0kmで終了し、再び2車線舗装路に。ダート区間では線形改良工事も始まっており、近々前後の区間と同様、快走路に生まれ変わりそうである。

そして、ダート区間からさらに走ること約1時間、遂に十勝川の渡船場を示す案内標識が姿を現した(写真2)。右折方向が「国道336号、渡船場」となっており、ご丁寧にも船上の人をデザインしたサインまで描かれている。
 

1 大樹・豊頃町界付近に残っていたダート (写真拡大 2 渡船場を示す案内標識 (標識拡大

標識に従って右折したところは、道というよりちょっとした広場のようになっていたが、ここが国道336号であることを主張するかのようにしっかりと国道標識が立っていた(写真3)。その脇には「旅来渡船場待合所」の表札を掲げたプレハブ小屋があり、さらにプレハブ小屋の前には、走ってきた道路に面するように「国道案内」と「まわり道案内」、「渡船運行時刻表」の看板が並んでいる(写真4)。
 
3 渡船場入口に立つ国道標識とプレハブ小屋 (写真拡大 4 プレハブ小屋の前の看板類 (写真拡大


「国道案内」の看板には、「この先100m地点人のみの渡船施設のため車両(自転車を除く)の通行はできません」とあり、人だけではなく、自転車の乗船も可能である。また、隣の「まわり道案内」の看板には、自転車以外の車両向けに迂回ルートの地図が示されている。要するに上流の国道38号の豊頃大橋にまわって下さいとのことだが、迂回距離が22kmもあるところがいかにも北海道らしい。逆に、徒歩の人(滅多にいないとは思うが)や自転車の人にとっては、この渡船の存在価値は非常に高いといえる。

一方、「渡船運行時刻表」に目を移してみると、出航時刻は「8:20、10:40、13:20、14:40、15:50」とある。現在の時間は15:10。幸いなことに最終便が残っている。運行拠点はこちら側にあり、対岸の出航時刻は上記時刻の各10分後とのことなので、往復することを前提に乗船体験ができそうだ。

看板類の観察が終わったところで、次はいよいよ問題の「渡船施設」との対面である。「渡船施設」へは川の堤防を越えなければならない。バイクにまたがると、国道標識の脇からダート道に入る。そして、そのダート道を堤防上まで登ったとき、眼下に現れたのは、ゆったりと流れる十勝川の川岸に佇む1艘の小さな船と対岸に向けて張られたロープのみだった(写真5)。桟橋などはなく、よく見れば船にはエンジンも付いていない。何と人力による渡船なのである。正に昔ながらの「渡し舟」そのものであり、「国道」のイメージからはほど遠い代物である。
 

5 十勝川の川岸に佇む「渡し舟」
  (写真拡大


しかし、船の側面にはしっかりと「開発局」という文字が入っている。開発局は、この国道336号を管理する組織であり、この船は紛れもない「国道の渡船施設」なのであった。

川面を眺めたりするうち、次の便の出航時刻が近づく。そして、出航の10分くらい前になって、堤防上に1人のおっちゃんが現れた。「あのおっちゃんが船頭さんだな」と思ったが、そのおっちゃんはこちらを少し見やっただけで、堤防の向こう側に姿を消してしまった。

その後もおっちゃんが来る気配は一向になく、再びバイクにまたがって先ほどの待合所へ。すると、待合所の中におっちゃんの姿があった。

おっちゃんに渡船の船頭さんであることを確認してから、「15:50の便は出航しないんですか」と聞いてみると、「君はバイクだし、他に乗船客もいないから船は出さない」という意外な言葉が返ってきた。こちらが納得できないような顔をしていると、おっちゃんは続けて「この渡船は人や自転車を川の対岸へ送り届けるための施設で観光施設ではない。だから、単に対岸まで往復するだけの人のために船は出さない」と言い切った。考えてみれば、確かにそうである。ましてやここの渡船は人力であり、その労力を考えてみたら、興味本位で見物に来た人間を往復させることなど、とんでもないことである。おっちゃんには返す言葉がなかった。

「ただし、16:00までに対岸に乗船客が現れれば話は別だけど」とおっちゃんが言った。対岸の乗船客をこちら側に運ぶためには、当然船は対岸まで往復しなければならない。その場合は、定員に余裕があれば乗ってもいい、とのことだった。

僕は再び堤防上に登り、対岸に乗船客が現れることを祈った。しかし、16:00を過ぎても対岸に人影を確認することはできなかった。

おっちゃんによると、来年(1992年)秋くらいに下流に橋が完成する予定で、その時点でこの渡船は廃止になるという。今回は明日以降の予定もあるので乗船を断念しなければならないが、廃止になるまでにぜひ再訪して、乗船を果たそう、と決意したのだった。

16:10、おっちゃんに挨拶をしてから渡船場を後にした。そして、22kmの大迂回をして、対岸の浦幌町側渡船場に到着したのは18:00だった。浦幌町側も渡船場に至るダート道(ダート延長1.3km)上にきっちりと案内標識や国道標識が整備されていたが、豊頃町側と違って待合所はなかった(写真6)。
 

6 浦幌町側渡船場入口に立つ国道標識 (写真拡大
 
◆付記

乗船を果たそうと決意した旅来の渡船だったが、残念ながら再訪する機会のないまま廃止されてしまった。今となっては、当時の渡船の写真を懐かしく眺めるのみである。
 

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