長崎県道216号
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◆概要
●路線名:池島循環線
●島名:池島(いけしま)
●所在地:長崎県長崎市
●撮影日:2005年5月4日
◆写真紹介
[1]
池島は長崎県西彼杵半島の沖合約7kmに浮かぶ周囲約4kmの島である。
池島へは長崎市の神浦港や西海市の瀬戸港からフェリーが出ており、比較的便数も多い。しかし、乗船できたのは、夕方も近い瀬戸港16:35発の便で、残念ながら池島での滞在時間は僅か1時間しかない。果たして島内県道を歩き切ることができるだろうか。
 
[2]
瀬戸港から海上を進むこと約20分、次第に池島が近づいてきた。何やら巨大な建物群が林立している様が遠目にも確認でき、今まで県道歩きのために訪れた島々とは明らかに様子が違う。
実は池島に渡るに当たって準備したのは、島のラフな道路地図とフェリーの時刻表だけで、その他の事前調査は一切していない。予備知識がないほうが、現地に立ったときのインパクトが強いからである。従って、池島の現状を知るのは、全てこれから、自分の目を通してということになる。
 
[3]
遠目に見えた巨大建物群は、実は集合住宅群であった。この光景を見て、ようやく池島の実態がのみこめてきた。小さな島と集合住宅群の組み合わせで連想するのは、同じく長崎県にある端島(別名 軍艦島)である。端島は明治期から炭鉱で栄えた島で、最盛期には周囲僅か1.2kmの島に約5000人もの人が住んでいたが、1974年の炭鉱閉鎖とともに無人島となり、最近は廃墟や近代遺産の分野で話題になっている島である。そう、端島とは集合住宅の密度こそ違うものの、この池島も炭鉱の島なのである。   
 
[4]
フェリーの左舷側には、炭鉱関連と思われる施設が連なっていた。しかし、見える範囲で人や車両、船舶の動きはなく、稼動しているようには見えない。
 
[5]
17:05、フェリーは池島港に着岸。思いもよらぬ島の姿に期待が膨らむが、如何せん島の滞在時間は僅か1時間、まずは目の前にある道に歩を進めなければならない。
 
[6]
その道は、船上から眺めた集合住宅群の中を進むが、そこでさらなる異変に気付いた。これほど多くの住宅が建ち並んでいるというのに人影がほとんどないのである。これらの建物、よくよく見れば生活感が全く感じられない。そう、ほとんどの建物が無人なのである。端島のように廃墟とまではいかないにしても、無人の集合住宅が建ち並ぶ様は正に異様な光景であった。(なお、帰ってから道路地図を確認したところ、この写真の道路は県道ではないようである。)
 
[7]
さて、池島島内の県道216号であるが、道路地図によると、島の北端にある港付近で二手に分かれたルートがそれぞれ南下し、その先で環状を成している。すなわち、桟橋からそう遠くない地点で時計回りか反時計回りかの選択が待ち受けているはずである。ところが、このときは焦る気持ちからか分岐には全く気付かず、とにかく広い道路をそのまま進んでしまった。
 
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道路左手には、さきほど船上から見た炭鉱関連と思われる施設が間近に広がっている。しかし、施設内は静まり返っており、やはり稼動していないようだ。
 
[9]
道路は上り坂が続き次第に高度を上げていく。そしてこの辺りの地形を見て、どうやら反時計回りの県道ルートに入っているらしいことにようやく気付いた。というのは、道路地図によると、時計回りルートであれば、ほぼ海岸沿いに(左手に海を見て)進むはずだからである。実は当初の予定では時計回りに県道を歩くつもりだったのだが、時間的にもう修正はできない。
 
[10]
港から約15分歩いたところで、道路左手に工場らしき施設の門が現れた。そこには「松島炭鉱株式会社 池島鉱業所」の表札。やはり炭鉱施設であった。どうやらここから港付近にかけてこの会社の敷地が広がっているようである。
 
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松島炭鉱から少し歩くと、道路右手に再び集合住宅群が姿を現した。
 
[12]
しかし、ここにも人影はほとんどなく、不気味なゴーストタウンが広がっていた。
 
[13]
港から約20分、前方に海が見えてきた。この先は海を右手に見ながら県道を進むことになる。
写真は海を見下ろす住宅群。場所が場所なら超一等地となりそうなロケーションである。
 
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県道と海に挟まれた細長い敷地にも住宅が建ち並んでいた。
 
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この住宅も既に無人。傾いた電柱が寂しさをなお一層かきたてる。
 
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1.5車線となった県道は下り坂に転じる。
 
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眼下に海を見ながらさらに下っていく。海を挟んで見えている陸地は本土である。
 
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そして道路脇にようやく「長崎県」の標柱を発見。県道を示す物証はこれが初である。
写真拡大
 
[19]
港から歩くこと約30分、前方に先ほどフェリーが着岸した桟橋が見えてきた。島内県道一周踏破も目前・・・のはずが、何を血迷ったのか、この先の炭鉱関連施設に吸い込まれていく道路を見て、「この先、道は行き止まりだ。早く引き返さないとフェリーの最終便に間に合わなくなる。」という思考が頭をよぎったのである。結論から言うと、県道はこの先も炭鉱施設に囲まれながらも続いており、あと10分も歩けば港に帰還できるはずだった。しかし、「フェリー最終便の時刻が迫っている」というプレッシャーは、一旦間違った状況判断を修正に導くことはなく、遂には来た道を戻ってしまったのである。
 
[20]
一目散に来た道を戻り、17:50、[11]の地点付近までたどり着いた。実はここから港行きの路線バスが出ており、次の発車はフェリー最終便に接続する17:55発。これでフェリーに間に合うことが確実となり、ようやく人心地つくことができた。
 
[21]
バス停名は「新店街通り」。しかし、[20]のとおり、そばの商店は全てシャッターを下ろしている。ゴールデンウィークによる休業なのか定かではないが、バス停名とのギャップを感じずにはいられない。
 
[22]
実は、池島の要であった池島炭鉱は2001年11月に閉鎖された。そして閉鎖時に約2700人だった島の人口は、3年後の2004年7月には約500人にまで激減している。今回、島で目にした光景にはこのような背景があったのである。
一時は前述の端島のように無人化案も出たようだが、幸いにも炭鉱施設が炭鉱技術移転のための研修施設として活用されることになり、無人化という最悪の事態は免れている。とは言え、過去の繁栄を取り戻すのは容易なことではないだろう。
 
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新店街通りから予定通りバスに乗り、最終フェリーの出港5分前に池島港に到着。バスはなんとワンボックス車で、乗客も自分1人であった。
 
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18:10、定刻にフェリーは池島港を出港。今回の池島訪問は滞在時間があまりにも短く、バタバタした上に県道の一部も歩き残す結果となってしまった。機会があれば、今度はぜひゆっくりと島を回ってみたいものである。そして、そのときには果たして島に活気は戻っているだろうか。

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