ホーム>離島都道府県道探訪> |
◆概要 |
●路線名:伊王島線 | |
●島名:伊王島(いおうじま)、沖之島(おきのしま) | |
●所在地:長崎県長崎市 | |
●撮影日:2007年4月28日 |
◆写真紹介 |
[1] 長崎港に停泊する伊王島経由高島行きの高速船「コバルトクイーン1号」。長崎港から伊王島までの正規運賃は、片道650円、往復1300円であるが、ターミナルの別のカウンターでは、何と温泉宿泊施設「やすらぎ伊王島」温泉入浴券+高速船往復切符を980円で売っていた。どういうカラクリなのかは不明であるが、正規運賃より320円安い上に温泉にも入れるのだから、使わない手はない。 |
|
[2] ゴールデンウィーク初日の行楽客を満載した高速船は長崎港を定刻の11:50に出港。長崎の街並みが足早に遠ざかると、長崎湾を一跨ぎする斜張橋「女神大橋」を潜った。天候にも恵まれ、デッキで浴びる潮風が気持ち良い。 |
|
[3] 出港から約20分、目的地の伊王島が間近に迫る。驚いたことに船上から見える建物は、大小様々な南欧風の建物ばかり。そう、伊王島は、「離島都道府県道探訪」初のリゾートを前面に押し出した島なのである。 |
|
[4] 12:15、高速船は伊王島港に着岸。多くの行楽客が下船する。 伊王島は、運河を挟んで南側に隣接する沖之島と3本の道路で結ばれており、2005年1月に長崎市に編入されるまで、二島一体で伊王島町を名乗っていた。かつてはこの界隈の島々と同様、炭鉱で栄えたものの、炭鉱は1972年(昭和47年)に閉山、以降、平成に入ってからリゾート開発によって島の再生が図られてきた。 |
|
[5] 船から降り立つと、まず港自体がリゾート色一色。写真左側の建物は、高速船待合室兼カフェである。 |
|
[6] ちょうど昼時ということもあり、県道歩きの前にカフェのオープンテラスで昼食。今までの離島探訪では考えられなかった一コマである。 |
|
[7] さて、目的の県道118号であるが、道路地図によると、伊王島を南北に縦断するとともに、南端の一部が橋を渡って沖之島にもかかっている。そこで、まず伊王島港のすぐそばの橋を渡って沖之島に入り、県道の起点を探すことにした。 写真は沖之島に入って5分程度歩いたところで、伊王島港方面を振り返って撮影したもの。右側の白い建物は、伊王島港のすぐそばのリゾートホテルである。港から延びるこの2車線路を県道と目して歩いてきたものの、沿道に県道の証拠となるものはまだ見つからない。 |
|
[8] すると、県道の物証よりも先に、「伊王島大橋」と書かれた大きな看板が目に飛び込んできた。伊王島(正確には沖之島)には架橋の計画があったのである。それもそのはず、実は本土の最も近い場所とは500m余りしか離れておらず、観光客の存在も考えれば十分納得できる話である。なお、看板によると、この伊王島大橋は県道250号(伊王島香焼線)として建設される。 (看板拡大) |
|
[9] 県道118号の探索もそこそこに、先に沖之島南端付近まで歩き、架橋地点を見学。既に基礎工事が始まっていたが、完成まではまだしばらく時間がかかりそう。 |
|
[10] 架橋地点の本土側も状況はこちらと同じである。 |
|
[11] 架橋地点見学の後は、県道の物証の有無を再確認しながら、歩いてきた2車線路を戻る。 丘の上の一際目を引く建物は沖之島天主堂。伊王島港と先ほどの架橋地点のほぼ中間地点に当たる。 |
|
[12] 現在の沖之島天主堂は1931年(昭和6年)に建てられたもので、住民の半数以上がカトリック教徒という島のシンボル的存在である。 |
|
[13] 沖之島天主堂からさらに伊王島港方面に戻ること約5分、2車線路の左手には小さなトンネルがぽっかりと口を開けている。実は先ほど行きに通りかかった時に気付いており、県道との関係はともかく、これは要チェックである。 |
|
[14] トンネル名・竣工年を確認できる銘板はなかったが、トンネル断面と坑口から察するに、かなり古いトンネルを新たなコンクリート巻きで改修したものだろう。 さて、坑口右下には何やら石柱のようなものがある。 |
|
[15] 近づいてみると、その石柱には何と「一般県道 伊王島線起・・・」と刻まれているではないか。「起」の下半分からコンクリートで隠れてしまっているが、「起点」と刻まれていることは間違いないだろう。 散々探した県道の物証であるが、こんな決定的なものを、こんな意外な場所で発見するとは。起点がこの場所であるということは、県道ルートはこのトンネルを潜って先に延びていると考えるのが自然であろう。今まで歩いた伊王島港〜架橋地点間の2車線路は県道ではなかったのである。 (写真拡大) |
|
[16] 石柱の道路を挟んだ反対側には小さなゼロキロポストもあった。 |
|
[17] 伊王島に上陸してから早2時間、ようやく県道118号の探訪がスタートである。 トンネルを抜けると、程なく集落内へ。1.5車線幅の道路こそやはり「島の県道」に相応しい。 |
|
[18] さらに進むと、沖之島と伊王島を結ぶ3つの橋の1つ「賑橋」が出現。1.5車線幅ながら歩道付きの近代的な造りで、恐らく近年に架け替えられたものだろう。 |
|
[19] その親柱には「一般県道伊王島線」と刻まれた立派なプレートが取り付けられていた。反対側の親柱には「平成5年11月竣工」のプレートも。架け替え前の橋を見てみたかった気もする。 |
|
[20] 橋上から北側の伊王島港方向を望む。前方の黄色い欄干の橋が先ほど行きに通った2車線道路で、左側が伊王島、右側が沖之島である。 |
|
[21] 賑橋の伊王島側の袂にあった廃店舗。庇部分には「洋品雑貨、月星靴、寝具、浜市百貨」と書かれており、見た目に反して幅広い商品を扱っていたようだ。 |
|
[22] 舞台は沖之島から再び伊王島に移り、さらに県道探訪は続く。前方に伊王島港が近づいてきた。 |
|
[23] 歩いてきた県道118号と賑橋を振り返って撮影。ここだけを切り取れば昔ながらの離島の情緒が感じられ、ほんの目と鼻の先にリゾート風景が広がっていることなどとても想像できない。 (写真拡大) |
|
[24] そして県道は伊王島港へ。写真右側の建物は、[5]で紹介した高速船待合室である。ここを境に県道は2車線となり、沿道風景も一変して、しばしの間「リゾート地帯」となる。 |
|
[25] 伊王島港から県道を約3分歩くと、リゾート開発の核である温泉宿泊施設「やすらぎ伊王島」が出現。高速船切符とセットになっていた温泉入浴券はこの施設である。入浴は県道を全線歩ききった後の楽しみにとっておく。 |
|
[26] 「やすらぎ伊王島」からさらに約8分進むと2車線路は終了し、リゾート風景も一段落。海岸沿いの道路を分けて県道は山腹に取り付く。 |
|
[27] 次第に標高を上げる県道。この辺りまで来ると人気はまばらとなり、時折レンタサイクルに乗った観光客とすれ違う程度となる。 |
|
[28] すると、突然、眼下に美しい砂浜が姿を現した。伊王島海水浴場「コスタ・デル・ソル」である。今でこそ人の気配はないが、夏は多くの海水浴客で賑わうのであろう。 |
|
[29] 県道沿いにあった「警笛鳴らせ」と「徐行」の標識。いわゆる規格品とは違った手作り感がいい味を醸し出している。 |
|
[30] 多尾公住下バス停で県道の標高はピークとなり、以降緩やかな下りに転じる。 |
|
[31] そして伊王島港から歩くこと約30分、灯台入口バス停の四差路へ。ここで、県道終点の物証と思しきものを発見。 |
|
[32] これがその物証。起点にあったゼロキロポストと同じものに「E」と記されている。恐らく「END」の「E」であろう。起点が「0」で終点が「E」というのは少しアンバランスな気もするが、設置されているだけ有り難いと思わねばならない。ちなみに道中にはこの手のキロポストは見当たらなかった。 |
|
[33] 終点には起点にあったような石柱はなし。その代わり、すさまじい略字体で刻まれた「長崎県」の標柱が立っていた。 |
|
[34] 終点より歩いてきた県道を振り返る。写真左下に見えるのが「E」キロポスト。 |
|
[35] 県道全線を無事に歩き終えた後は、さらに10分ほど足を伸ばし、伊王島北端に建つ伊王島灯台へ。長崎港入港の要所に当たることから、1866年(慶応2年)の設置以来、実に140年以上の歴史を持つ灯台である。高台に建つ灯台の周囲には真っ青な海が広がり、正にリゾート島に相応しいビューポイント。 (写真拡大) |
|
[36] 灯台とほぼ同じ歴史を持つ旧灯台守宿所の建物。現在は灯台記念館となり、灯台に関する設備、道具、資料などが無料公開されている。 (写真拡大) |
|
[37] 伊王島灯台見学後は来た道を戻り、「やすらぎ伊王島」へ。海を見渡す露天風呂で汗を流し、リゾート島での県道歩きを締めくくった。 |
ホーム>離島都道府県道探訪> |