愛媛県道290号
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◆概要
●路線名:喜路能登線
●島名:日振島(ひぶりじま)
●所在地:愛媛県宇和島市
●撮影日:2005年5月2日
◆写真紹介
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宇和島港と日振島を結ぶ盛運汽船の高速船。宇和島港を早朝に出港する第1便に乗船する予定であったが、昨日、5月1日から夏ダイヤで出港時刻が繰り上がっていることを全く知らず、見事に乗り遅れてしまった。仕方なく、日振島へは約5時間後の11:30出港の第2便に。島の滞在時間は一気に半日も減ってしまった。
 
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宇和島港から約40分で日振島、喜路港へ。日振島は宇和島市の西方約30kmの宇和海に浮かぶ面積約4km2、人口約500人の島である。東西に細長い島で、東側から順に、喜路、明海、能登の3つの集落がある。件の県道290号は起点が喜路、終点が能登であるが、手持ちの道路地図では明海と能登の間が未通になっており、もし陸路が途絶している場合はその間を船で移動せねばならない。いきなり島の滞在時間が半減した中で、果たして県道を全線歩くことができるだろうか。
 
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県道を起点から歩くべく、喜路港から一旦、東側へ道路をたどるが、起点の手掛かりとなるものは見当たらなかった。
写真はこれから向かう能登方面を向いて喜路集落を撮影したもの。写真中央の赤い桟橋が先ほど降り立った高速船の乗船場。県道290号は島の北岸を西へ延びている。
 
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喜路集落内では海藻の天日干し作業が行われていた。
 
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喜路集落を外れると、県道はいきなり断崖上の1車線路となる。ちょうど改良工事が始まっており、あるいは拡幅が予定されているのかもしれない。
 
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工事看板で早速、「一般県道喜路能登線」の文字を確認することができた。
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県道から宇和海の眺め。養殖いかだが多数並んでいる。
 
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さらに県道を進むと、前方に島の中央部が見渡せるようになった。僅かに見えている集落は島の中心に当たる明海集落であるが、まだまだ距離がある。
 
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道路改良工事現場を過ぎた後、県道の幅員は概ね1.5車線が確保されている。ただし、行き交う車はほとんどない。
 
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喜路集落から歩くこと約40分、前方に「くびれ」部分が見えてきた。くびれ部分は僅かな陸地で繋がっているだけで、上を通る県道も両側を海に挟まれる形となっている。くびれの向こう側に見えているのは島の西側。
 
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何と県道上も海藻の天日干し場として活用されていた。車1台分は空けられているが、離合時には一方の車が海藻を踏まざるを得ないだろう。正に交通量の少ない離島ならではの光景である。
 
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歩いてきた県道を振り返る。険しい地形に道路が切り開かれていることが分かる。
 
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喜路集落から約1時間10分で、先ほど見えていたくびれ部分へ。写真中央下に写っているのは、県道脇に立つ「愛媛県」の標柱。県道がほぼ海面の高さまで下りてきたことが分かる。
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くびれ部分から明海集落までは波打ち際のルートとなる。
 
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そして、喜路集落から歩くこと約1時間半、ようやく島の中心、明海集落へ。
 
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島の中心といっても規模は喜路集落とさほど変わらないが、郵便局や旅館(写真)、観光案内板などがあり、島の玄関口としての面目は一応保っている。
さて、問題はこの先、能登集落まで陸路で抜けられるかである。郵便局のおばちゃんに情報を求めたところ、嬉しいことに「ちゃんと道が通じていますよ」との返答。あっさりと問題は解決した。やはり道路地図は鵜呑みにできない。
 
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能登集落まで道路が繋がっていることは確認できたが、それが県道である保証はなく、実際に歩いてみての判断となる。
14:20、能登集落へ向かう道路に踏み出すと、明海集落の外れで小さなトンネルがぽっかりと口を開けていた。銘板には、「神山隧道、昭和39年3月施工」の文字。完全1車線のトンネルは離島にふさわしい佇まいを見せている。
 
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トンネルを抜けると、前方に何かの施設が見えてきた。
 
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その正体は、道路地図にも記載されている「南予レクリエーション公園都市」の一施設。しかし、見た限り人の気配はなく、雑草は伸び放題で植木も枯れている。夏は海水浴場になるようだが、目にはどうしても寂しい光景に映る。
 
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明海集落を出発して約10分、2つ目のトンネルが現れた。トンネル名は「日振島トンネル」で、先ほどの神山トンネルと違い、竣工は平成8年3月と比較的新しい。旧道らしき道筋もなく、どうやらトンネル開通前は道路が通じていなかったと考えるのが妥当のようだ。
さらに、注目すべきは銘板に記載されていた「事業主体 宇和島市」の文字。県道として整備したのであればここは「愛媛県」となるべきところ。やはりこの道路は県道ではないのだろうか。
 
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その先の道路は、県道でないことを裏付けるかのように1車線区間の多い頼りない道程が続く。
 
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しかし、それは突如出現した。「路肩注意、愛媛県」のポールである。十中八九、市道と思って歩いていただけに、これは嬉しい発見であった。先ほどの日振島トンネルの事業主体の件を考慮すると、この区間はまず市道として開通し、後に県道に昇格したのではないだろうか。
 
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明海集落から約50分歩いたところで、それまでの1車線コンクリート舗装が突如、1.5車線アスファルト舗装となった。ここを境に明らかに道路のスペックが異なっており、あるいは元市道と県道の境界だったのかもしれない。
 
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本来の「県道スペック」区間に入ったところ、未舗装部分が残っていた。恐らく拡幅工事が施工されて間もないのであろう。
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そして明海集落から歩くこと約1時間半、遂に終点である能登集落に入った。
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能登集落内にあった「道路記念碑」。何と側面に大正14年11月の日付が刻まれている。船運が主流の離島にあって、こんな古い時代の道路記念碑があるのは少し意外であった。
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能登集落の佇まい。集落内の道路を一通り歩いてみたが、やはり県道の終点を示すものは発見できなかった。
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能登港乗船場に16:27発の高速船が到着。島の滞在時間が半減するというアクシデントに見舞われたが、何とか無事に県道のほぼ全線を歩くことができた。

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